「山崎被告が戻ってドアを開けると、飛び出して抱きついてきたという。」(引用 読売新聞)

放置されて餓死させられかかってもまだ 子供は母親が好きなのだ。その愛に応えることなく死亡させるのを目的として放置した母親。

抱きつかれたとき、母親は何も感じなかったのだろうか。

ニュース元記事

四歳生ごみで生存、一歳放置死・・・21歳母親を殺人で起訴。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070406i315.htm

例の愛人宅に一歳の子供の遺体を遺棄したことで先日逮捕された女の人だ。

いわく、二人とも死んでると思って帰ってきたら、長男が生きていたので驚いた?!

・・・・・・いい加減にしろよ。お前さんも拘置所で餓死しなさい。

「親というのは難儀な生き物」で母親に同情を禁じえなかった私であるが

世に「若気のいたり」という言葉があるとしても もうあきれて何もいえない。

いや 確かに子育ては面倒で億劫で出来ればしたくなくなるときがあるのも事実。

しかし、最初から餓死目的で放置とは・・・・



余談だが、知人で重度のうつにかかった母親がいて しかもそこには4歳くらいの子供がいた。

うつも重度になると信じられないだろうが、動けない。トイレすら出来れば行きたくない。もし火事になっても、逃げないだろう。ああ 燃えているなと思いつつ寝ているだろう。そんな状態になる。自分自身、のまず食わずでただ寝ている状態だ。(当然衰弱するので適当な看護が必要)そんな母親に子供がいた場合・・・子供はどうするかというとね、ママ ご飯、おなかすいた〜と訴えてくる。ママ 大丈夫? といいつつ なでなでしたりして なんとか おなかがすいたことを訴えてくる。子供にご飯を食べさせたい けれど起きれない。でもそれでもテーブルの上の買い置きのパンを食べてねっていって何とかつないだり、冷蔵庫のプリンを食べようね、自分で取れるかな〜といって何とかしたり、家族に帰宅時にまたは週末に食料品、それも4歳児が直ぐ食べることのできるものを買い置きしてもらったりして最低限の食の保証はするものなのだ。力を振り絞って頑張るのだ。でも子供が自分に対して無限に湧き出る泉のようにあふれ出す愛のおかげで何とかしようと思うものなのだ。火事になっても、逃げないだろう。ああ 燃えているなと思いつつ寝ているだろう。そんな状態でも母親は子供を見捨てることが出来ない。それがふつうであたりまえなのではなかろうか。

自分の選択で子供を産んだ以上 最低限の命の保証は責任がある。ある年齢までは保護しなければ確実に子供は死に至る。そんな基本的なことすら解らないとはどういうことだろうと思うのだが、この21歳の遺棄女はまた別で、それをわかっていて、それを踏まえたうえで、殺すことを目的に遺棄している。

この手の女の人は絶対に反省も後悔もしないんだろうし、可能ならばまた繰り返すんだろうなって思う。

業が深すぎる。そして近年この手の手合いが増えてきたように思う。情けない世の中だ。哀しいことだと思う。そして二ヶ月も誰も気がつかなかったという現実も情けないことだと思う。

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